|
カール・アウグスト・フィリップ・ルートヴィヒ・フォン・ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト(Karl August Philipp Ludwig von Hessen-Philippsthal-Barchfeld, 1784年6月27日 バルヒフェルト - 1854年7月17日 フィリップスタール)は、ドイツの諸侯家門ヘッセン家の一員で、ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯家の当主(在位1803年 - 1854年)。 ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯アドルフと、その妻でザクセン=マイニンゲン公アントン・ウルリヒの娘であるルイーゼの間の第2子、次男として生まれ、1803年に若くして家督を継いだ。プロイセン軍に仕官した後、ロシア軍に移ってナポレオン戦争を戦い、1812年のボロジノの戦いにも参加している。その後、さらにヘッセン選帝侯国の軍隊に移り、陸軍中将にまで昇進した。晩年はヘルレスハウゼンのアウグステナウ城(Schloss Augustenau)に引退した。 == 子女 == 1816年7月19日にエーリンゲンにおいて、ホーエンローエ=インゲルフィンゲン侯フリードリヒ・ルートヴィヒの娘アウグステ(1793年 - 1821年)と最初の結婚をしたが、1821年に死別した。 *ベルタ・ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ルイーゼ・マリー(1818年 - 1888年) - 1839年、ベントハイム=シュタインフルト侯ルートヴィヒと結婚 *エミーリエ(1821年 - 1836年) 1823年9月10日にシュタインフルトにおいて、ベントハイム=シュタインフルト侯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムの娘ゾフィー(1794年 - 1873年)と再婚し、間に4人の息子をもうけた。 *ヴィクトル(1824年 - 1846年) *アレクサンダー(1826年 - 1841年) *アレクシス・ヴィルヘルム・エルンスト(1829年 - 1905年) - ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯家家長 *ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト(1831年 - 1890年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール (ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|